「第
49日」
19××年9月23日(土)晴れ
午前6時20分、外、人の歩く音、その騒々しさで起き上がった。
本日は北海道を発つ筈だった。一夜明けてみると別の思いがあった。
「もう一日だけ留まっていたい」そんな思いもあったし、
「まだ去りたくはないな」といった、そんな声も。
北海道への愛着、まだ去ってしまうのが惜しいのか。それともどうなのか。まだ答えは出ていないからか。時間稼ぎか。
函館にやって来て、一つ取り残したようで気になっていた。何故だか自分でも分からない。何となく惹かれる。やはり去るのが惜しいのかも知れない。
本日は「トラピスト男子修道院」に行くことにした。そして時間が許せば、恵山へ行く序に女子修道院にも寄って行く予定にしていた。が、
結果的には「トラピスト男子修道院」という固有名詞を弄ぶ為に今日一日は、費やされた。 北海道滞在も、最後の日。
午前9時10分、函館駅を一人離れ、然るべき道路沿いを歩き続けた。 函館市街、国道5号線に沿ってはたくさんの商店が犇めき合っていて、そういう場所でのヒッチハイクは経験上難しい。
ヒッチがし易いと思われる地点までと歩き続けざるを得ない。だからヒッチ開始の時がどんどんと先へと押しやられると同時に、歩いて行く時間もどんどんと積み重ねられた。 一時間と30分歩き続けて、午前10時40分、国道228号線と227号線との分岐点まで来た。が、
それで終わったというわけではなかった。更に30分間歩かなければ、車が拾えなかった。いや、拾われたのはぼくだったと言えよう。 大型バンでトラピスト修道院へと通ずる近道のそばまで乗せて来て貰った。運転手君、「途中まで行くよ」ということだったのが、
運転中に気が変わってぼくに付合ってくれた。約30分間の便乗。午前11時10分〜11時42分まで。
トラピスト男子修道院、正午前に着く。前方に広がる芝生は行楽の場所を求めてここに来たらしい子供会のお母さん方や子供達で賑やかだ。 ぼくは修道院の敷地の方へと歩いて行く。 修道院の売店では聖母マリアさんが浮き彫りにされたような、一円銀貨を半分にした位の薄っぺらな、小さなペンダントと鎖を買う。
本州は関東で待っているであろう元アルバイト先の女の子達への、ぼくからのささやかなプレゼントだ。 この付近は都会の喧騒から隔離された所で、もしお母さん達に引率されて来た子供達が遊んでいなかったならば、心細くなるほどに静かな場所と想像される。 修道院がここにあるというのも、瞑想のために格好な場所を選んだということになるのだろうか。
聞えて来るのは鳥達の鳴き声、木々の葉が触れ合う音ぐらい。それから時々、思い出したかのごとく、
周囲に響き渡る、そしてこの腹にも堪(こた)える連絡船の汽笛。それにぼくの内なる、ひとりごと。海は直ぐ近くに横たわっている、明日は出発だ、と。 一人だけでは広過ぎる、そんな広場で長いこと時を費やしていた。ぼけっとしていただけだったのだが・・・・。曇り空、何となく思いも自分の内側へと向かってしまう。 ― なぜここに来ているのだろう・・・・・。
誰か知合いの修道士にでも会いに来たわけもでもなかった。 ― 明日こそは北海道を出るのか。
ため息なのか、諦めなのか。 ― 北海道滞在も今日で、ちょうど40日。 ― 明日には新しい旅が始まる。新しい境地か?
本当に海を渡っている自分になるのか。 ― 関東にいる人達はどうしているだろう。 あの時の自分、この時の自分、何を求めて旅に出て来たのだろう。どうして今ここに? 明日はどこに? 何かを求めて、何かを得たいと考えていたのだろう。 芝生の上に寝転んだり、腰掛け直したり、時の流れに任せながら、あんなことそんなことと焦点が定まらない思念の世界に漂っていた。 北海道一周の旅も漸く終えるに当たって、何となく感傷的になっていたのかも知れない。 希望はある、常にある。人生諦められない。
もう充分、と立ち上がった。リュックを背負った。 午後2時40分、広場を発ち、再び函館へと向かって歩いて行く。 車は簡単に拾えた。バンだ。午後3時15分〜3時45分まで。恵山・函館駅分岐点まで乗せて来て貰った。 下車、そこからは函館駅までへと、歩きに歩いた。 最後の日、まるで北海道に自分の足跡を残して行くかの如く、歩いた。もう来ることもないだろう。 午後5時。 函館駅まで歩いて、やっと着いた。疲れた。 踏ん切りも着いていた。明日は本当に、出発だ。 思い残すこともない。 |