日本一周旅
19xx年、 ほぼ一年間、はじめての日本一周の旅、ひとり旅を敢行。
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- ”ステーションホテル”
- 野宿、公園のベンチ、東屋、軒下、車の中、トラックの中
- 海岸
- ”スカイホテル”
日本中、各地の知られざる場所を寝床にして日本一周の夢を成し遂げた。 p>
このサイトは当時の、内外共の軌跡を出来るだけ詳しく活写する試みです。
このサイトがお役に立てれば幸いです。
なぜ「日本一周」の旅?
質問を受けたご本人、つまり「日本一周」をやっている人、またはやろうとする人が素直な人・・・・ならば、ちゃんと答えてくれるかもしれません。
「やりたいから、やる」
「やりたいから、やっているだけ」
ある人が、ある登山家山に尋ねたらしい。
「どうして山に登るのですか?」
「そこに山があるからさ」と答えたらしい。
「どうして”日本一周”をするのですか?」
「そこに日本があるからさ」
仕事中の、ある職人に聞いたらしい。
「なぜ、・・・・・・・・・ですか?」
「・・・」無言、答えない。仕事中の専門家だ。
「なぜ、・・・・・・・・・ですか?」
「うるさいねえ、そんなこと関係ねえや」
その職人はご立腹。 質問をした人はそんなそっけないような答えでは満足しない、らしい。
以下ではなぜ、「日本一周」なのか、を考えたことを記して見ます。
日本一周へと出発する前はどうだったでしょうか。日本一周をしている自分を思い浮かべ、 日本各地を移動している、色々な土地で色々なことを見聞しながら毎日、全身で以って体験を積み重ねている、 そんなイメージを抱いていた と思います。こころがワクワクするのを覚えています。 それらしき理由を以下に挙げてましょう。
理由、その一。 日本全国を知りたいから。
日本を知りたいから。(内心、カッコイイでしょう? と同意を求めている)
反論、(なんてありえない筈ですが)
日本を知りたかったら、日本に関する本はたくさんある。それを読めば良い!
読んだだけでは、確かに知ったことにはならないから、ということで、
理由、その二。 日本の地理を自分の身で以って体験したいから。
日本を自分の身で以って体験したいから。(内心、もっとカッコイイでしょう 、得意気)
理由、その三。ひとりで生きる練習をしたいから。
反論、 ひとり旅の場合、たしかに何から何まで自分でやってゆかなければなりません。 それがひとりで生きる練習になるのかは良く分かりませんがね。 しかし、生きるのに練習があるのだろうか!?
理由、その四。 若いときの思い出を作って置きたいから。
反論、若くない時に始めた人には当てはまらない理由だ。 若くない?
<p>すべて気ままな言い訳に聞こえるみたいですね。 発表するほどの価値もないようです。p>まあ、とにかく、いろいろと個人的な理由の羅列ですね。
そう、日本一周の旅をする人、その人にしかない理由がある。
日常性からの脱出、解放、新しい刺激を求めて、自分を試す、自分の可能性を求めて、とにかく動きたい、一人立ちの旅たち。
日本の、ある哲人のコメント
ひとはさまざまの理由から旅に上るであらう。或る者は商用のために、他の者は視察のために、 更に他の者は休養のために、また或る一人は親戚の不幸を見舞ふために、そして他の一人は友人の結婚を祝ふために、といふやうに。 人生がさまざまであ るやうに、旅もさまざまである。しかしながら、どのやうな理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、 一年の旅に出る者にも、旅には相似た感懷がある。恰も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者にも、すべての人生には人生として の共通の感情があるやうに。
旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な關係から逃れること である。旅の嬉しさはかやうに解放されることの嬉しさである。ことさら解放を求めてする旅でなくても、旅においては誰も何等か解放された氣持になるもので ある。或る者は實に人生から脱出する目的をもつてさへ旅に上るのである。ことさら脱出を欲してする旅でなくても、旅においては誰も何等か脱出に類する氣持 になるものである。旅の對象としてひとの好んで選ぶものが多くの場合自然であり、人間の生活であつても原始的な、自然的な生活であるといふのも、これに關 係すると考へることができるであらう。旅におけるかやうな解放乃至脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴つてゐる。即ち旅はすべての人に多かれ少かれ漂泊 の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。
そうだ、そうだ! 解放されたいから、「日本一周」の旅に出るのだ!
で、何から、解放されたいのか?
最近はインターネットのお陰で、オンライン中継が出来るようなった。旅先の 現地から、言わば「日本一周旅」実況中継。
世の中、実に変わった。
私のころは勿論、まだインターネットもなかった。でも、メモ帳をポケットに忍ばせて、毎日の行動を毎時、毎分といった具合に記録していた。後ほど、まとめてみたいと思っていた。
歴史に残るような自分ではないだろうが、この世に生を受けこの世に生きていた証を残しておきたいと思った。
やはり、多くの人に自分のやっていることを知ってもらいたい。認知して貰いたい。個人的な願望の具体的な表れでしょうか。 自分を顕示したい、とする無意識の願望、祈願。
ここにいる、旅をしている、と世界中に、いや日本中に知らせたい。理由など人に説明する必要もない。日本一周をやりたいからやる、やりたいからやっている。それでよい、と思う。
それでも、日本一周をこれからやろうとする人、今やっている人たちに聞いてみたくなる。
「なぜ”日本一周”なのですか?」
「やりたいからやる!」そんな答えが返って来そうだ。
やはりそうだよねえ、と納得してしまう。